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zoom RSS カリフォルニア・デルタとアジア系移民 ― Stockton, Walnut Grove, etc.

<<   作成日時 : 2011/07/10 13:08   >>

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「キャンディーズ特集」に惹かれて買ったレココレ誌で思いがけない記事に出会った。ジョージ・カックル氏は鎌倉生まれの米国人。現在、50代半ば。日本で音楽プロデューサーやラジオ・パーソナリティを務める人で、レココレ誌に<<アメリカン・ロック・リリック・ランドスケイプ>>(ロックの歌詞から見えてくるアメリカの風景)というコラムを持っている。今号はCCRのLodi(ローダイ)という古い曲がテーマだが、歌詞の解説だけにとどまらず。話は、サンフランシスコの遥か東に位置するカリフォルニア・デルタと呼ばれる土地の特徴、そして、カックル氏と或る日系アメリカ人との思い出へと展開していく。このあたりは実にスリリングだ。まさにアメリカの「ランドスケイプ(風景)」ではないか!

カックル氏が通っていた車の学校の先生であった日系アメリカ人が、日系アメリカ人が経営する店で車用の工具箱を買うという理由で、カックル氏と一緒にわざわざカリフォルニア・デルタの奥にあるリオヴィスタという遠い町まで出かけるのだが、それは、その日系アメリカ人がかつて暮らしていたストックトンを再訪する行程でもあった。ストックトンにある三階建ての建物へ着いた時、日系アメリカ人の先生は涙を流す。そこは戦前に彼と彼の家族が住んでいた場所で、彼や家族を含め、戦時強制収容により、ストックトンからは日本人も日系アメリカ人もいなくなる。そして、戦争が終わっても、ほとんどの日本人、日系アメリカ人はそこに帰らなかったという。ストックトンの日系コミュニティは崩壊したのだ。

ストックトンだけでなく、その日系アメリカ人の先生は、デルタを巡り、カックル氏にこの地域の歴史を語る。ワルナット・グローブはストックトンの隣町(といっても離れている)だが、荒れ果て、賭博場や売春宿が残る物哀しい町になっていた。CCRのLodi(ローダイ)は、田舎回りのミュージシャンが、生活に疲れ落ち着く町も見つけられず、結局、ローダイに戻り、スタックされてしまうという、ある種、絶望的な歌だが、それは、CCRが書いた想像の物語ではなく、アジアからの移民が多く住んだ、また、ゴールド・ラッシュの時代には、一攫千金を求めて各地から流れ者が集まったカリフォルニア・デルタのローカル・ソングでもあるのだ。

アジア系アメリカ文学や演劇に興味のある方々は、ストックトンと聞いて、なにか思い出さないだろうか。ストックトンは、マキシン・ホン・キングストンとフィリップ・カン・ゴタンダという、中国系と日系を代表する作家/劇作家を生んだ町なのだ。ここには古くからアジア系のコミュニティがあり、鉄道が大きな役割を果たしていた時代には、活況を呈していた。金鉱だけでなく、農業も盛んだった。ウィキペディア英語版にはFor much of the later 19th century, starting with the Gold Rush, Stockton was one of the largest cities in the state, for a while the third largest city.とある。ストックトンには、かつて、「カリフォルニア州の中で人口が三番目に多い町」(今回初めて知った!)であったという過去があるのだから、ゴールド・ラッシュの物凄さがわかる。ストックトンは、金鉱にやってきた人々に生活の糧を供給する基地の役割を果たしていた。

しかし、現在のストックトンには往時の面影はない。ないばかりか、なんと、「犯罪率が高く全米でもっとも危険な都市の一つ」(ウィキペディア日本語版)になっているし、カックル氏によると、2011年の『フォルブズ・マガジン』では、(ストックトンは)「アメリカで最も惨めな街」だと評価されている。ストックトンが単なる小さな田舎町ならこんな書き方はされないだろうが、かつて、州内三位の人口を誇った町がいかに凋落しているか、という、この「落差の激しさ」が話題性を持つのだろう。

前述したワルナット・グローブ(Walnut Grove)は、ストックトンとサクラメントの中間にある町だが、日系三世のバンド「ヨコハマ、カリフォルニア」のLP(下写真)には「マノン・オブ・ワルナット・グローブ」という曲が収録されている。かつて、マノンと呼ばれるフィリピン人/フィリピン系の独身男性が多く住んだワルナット・グローブについて歌った印象深い一曲だが、「ワルナット・グローブも、いまや、ゴースト・タウンになっている」という一節が歌詞にある。このLPは70年代末に出た。おそらく、カックル氏が日系アメリカ人の先生とこのあたりをドライブしたのもその頃ではないか。なお、「ヨコハマ、カリフォルニア」のライナー・ノートには、「カリフォルニア・デルタ」ではなく「サクラメント・デルタ」と表現されているが、ほぼ同じ場所を指しているのだと考えていいだろう。なお、マノンは、クリス・イイジマ&チャーリー・チンのアルバムの曲でも取り上げられている。

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それから、グレン・ホリウチの初期のLPにもStockton Callingというやや暗いが力強い佳曲が収められている。これは、70年代にストックトンに住むアジア系の子供たち数人が人種差別により殺害された事件に触発されてできた曲だ。ストックトンには、ワーキング・クラスの都市というイメージを持っていたが、詳しくは知らなかった。今回、雑誌のコラムに触発されて少し調べてみたが、アジア系アメリカの歴史において、ストックトンを含むカリフォルニア・デルタ一帯の地域は、重要な役割を果たしてきたのだ。良い意味でも、悪い意味でも。

ストックトンといえば、数年前の東京を思い出す。芝居が終わった後のQ&Aタイムに、「あなたも、キングストンも、ストックトン出身です。ストックトンには中国系や日系社会があり、アジア系にとって重要な町であると思うのですが、コメントをいただけますか?」とフィリップ・カン・ゴタンダさん自身に直接質問したことがある。

「ストックトン」と聞いた瞬間、ゴタンダさんは真剣な表情を見せ、僕の問いに応えようと体を前に傾けたが、司会者が「時間がなくなったので、これで終わります」という余計なことをしてくれたおかげで、僕は、ゴタンダさんからストックトンの話をいまだに聞けずにいる。なお、「ヨコハマ、カリフォルニア」のメンバーとゴタンダさんは同時期に音楽活動をしていた。「ゴタンダさんは優秀なシンガー&ソングライターだった」とメンバーは僕に言うが、ゴタンダさん自身は、自分のミュージシャン時代について、なにもコメントしていない。

今度ゴタンダさんにお会いする機会があれば、もう一度同じ質問をしてみたい。

「ストックトンって、どんな町だったのですか?」と・・・

追記:CCRのファンであり、バンドでコピーしていたこともある僕には、CCRの歌詞とアジア系アメリカの両方がリンクする内容が嬉しい。

CCRは、所謂、反体制やフラワー・ムーブメントを標榜するのではなく、アメリカ合衆国の合衆国らしさを曲にしてきた、カントリー音楽に影響を受けたロックバンドであった。しかし、時代は見据えていた。本当かどうかは知らないが、日本でもヒットした「雨を見たかい」の「雨」は「ベトナム戦争でナパーム弾が降り注ぐ光景の暗喩」だという説もある。また、カリフォルニア州のバンドなのに、Born on the BayouやProud Maryなど、米国の深南部を歌う曲をヒットさせた。しかし、これらの曲は決してフェイクではない。

「アメリカのポピュラー音楽は「自己表現」ではなく、「他人になりすます偽装願望」」だ、と主張する本『アメリカ音楽史』(大和田俊之著)があるそうだが、同感だ。少なくとも、十代の僕がアメリカの音楽にのめり込んでいった原因は、ひとりを除いて全員がカナダ人のグループ、"The Band"の音楽を聴いてからだ。「偽装」だからといって、「偽物」ではない。ここがポイントだろう。僕は、「自己表現」だとか「自己実現」という耳触りのよい言説を信じることができない。

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