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zoom RSS オアフ島の地図 ― 武居熱血が作った布哇みやげの絵葉書 

<<   作成日時 : 2011/06/20 20:42   >>

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武居熱血。この山口県からハワイに移民した人物は、ホノルルのリバー街で呉服店を営みながら、ハワイ諸島全島を歩き、各地に散らばる日本人移民たちの住む町の地図を書き、写真集を出版し、おまけに絵葉書まで売っていた。とても面白い吾人である。自分の職業を「弁士」と呼んでおり、なにか事が起きれば人前に立って弁舌をふるったのであろう。

しかしながら、彼は、ハワイの日本人移民社会を動かしたり大きな影響を与えた役人でも政治家でも高僧でも新聞社の代表でもないので、社会集団を研究する学問では研究の対象になりにくい。でも、僕は、こういう、なんで食っているのかわからない時代劇の「遊び人の金さん」みたいな人に惹かれる。

「遊び人」と書いたが、武居熱血が編集発行した本はいずれもユニークで資料的価値の高いものばかりだ。彼は伊達や酔狂でハワイ諸島を漫遊していたのではない。とりわけ、先日の記事で紹介した、サトウキビ耕地にできた町の住宅図の作成などは、当時のハワイ日本人社会を知る上で、極めて貴重な資料/史料である。現場に出かけ、その町の人と話さないとできない仕事だ。武居熱血はジャーナリストであり編集者であり弁士であった。本業の呉服屋がその後どうなったかはわからないが、その名のような「熱血」が込められた仕事は永遠に残る。

ここで紹介するのは、1907年頃のオアフ島の地図である。実は絵葉書であり、「布哇みやげ」と印刷された千代紙にハワイ諸島やホノルルやヒロの市街図が包まれている。日本人が描いた地図なので、カタカナ表記だし、意味のわからない漢字の地名?もある。「四軒屋」「八軒屋」「六十人組」とはいったい何のことだ!

当時、鉄道がオアフ島の外周の半分ほど通じていたことも印象的だ。僕は地理学者でも歴史学者でもないのでなにもいえないが、もしかすると、この地図には、貴重な情報が隠されているかもしれない。なお、「ミール」というのは砂糖精製工場のこと。ワイパフやアイエアやエワにも「ミール」の印がある。

追記:「「四軒屋」「八軒屋」「六十人組」とはいったい何のことだ!」と書いたが、これらは日本人移民が集住していたキャンプの名前であることがわかった。ワイアルア地域やハレイワ地域には、1900年頃から、プランテーション労働者として多くの日本人移民がキャンプ(館府)に住んだそうだ。なお、鉄道だが、1899年までにはホノルルからカフクまで建設されたとのこと。参考図書:『ハワイ日系人の歴史地理』飯田耕二郎(ナカニシヤ出版)

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コメント(2件)

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ああこの地図はいいですねえ。
ワヒアワからワイパフへ下る鉄道路線がありますね。
この路線はワヒアワ近くのスコフィールド兵舎からハワイリージョナルガードの日系人兵士が列車に乗せられてホノルル港に運ばれ、密かに米本土に隔離輸送された経路です。この兵士たちが後に欧州戦線で勇猛果敢で名高い第100大隊です。
Hawkeye
2011/06/24 00:28
さ、さすが大尉殿!ワヒアワに兵舎(基地?)があったんですね。100大隊(ワン・プカ・プカ)がこの鉄道を使って移動したとはまったく知りませんでした。こういう史実を知ると、この平面の地図が立体的に、また歴史的に見えてきます。

なお、この絵葉書が印刷され販売されていた時期が特定できないのですが、オアフ島の人口が約8万人と書いてあるので、オアフ島全体の人口が8万人前後だった時代を調べてみようと思います。

現在、オアフ島の人口は90万人を越えているようです。
asianimprov
2011/06/24 06:08

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