asianimprovのアジア系アメリカ雑記帖

アクセスカウンタ

zoom RSS 歌う国民 ― 近代化と「国民づくり」と歌

<<   作成日時 : 2011/03/04 22:32   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5

画像


『歌う国民』唱歌、校歌、うたごえ 渡辺裕 著 という本を半分読んだところだが、なかなか面白い。かつて、音楽は芸術ではなく極めて実際的で身体的なツールであったこと、唱歌と童謡との微妙な関係、明治以降の近代化と西洋音楽、日本の伝統とは何か、等々、歌にこだわることで私たちが知らなかった「古くて新しい景色」が次々と見えてくる。くどさが気になるとはいえ、膨大な資料と史料を駆使した研究で、説得力がある。下記は出版社が付けた解説だ。

日本人の心の原風景として語られることの多い唱歌だが、納税や郵便貯金、梅雨時の衛生などの唱歌がさかんに作られた時期がある。これらは、ただひたすらに近代化をめざす政府から押しつけられた音楽でもあった。だが、それさえも換骨奪胎してしまう日本人から、歌が聞こえなくなることはなかったのである。唱歌の時代から「うたごえ」そして現代までをたどる、推理小説を読むような興奮あふれる、もう一つの近代史。

国民国家を作るための音楽や歌、という「大きな物語」を、バランスを取りながら解読していく過程も興味深いが、僕が首肯させられたのは「伝統」というものの根拠のなさと、「文化」というものの根強さだ。「伝統文化」という4文字をなにか偉いもののように振り回す輩がいるけれども、そもそも「伝統」も「文化」もどんどん更新され変化していくものであり、変化するからこそ維持されている。「伝統文化」を守れ、と叫んだ瞬間に「伝統」も「文化」も純粋化され、実際の姿ではない形而上学的な思想になってしまう。

そういう思想的哲学的な概念の独り歩きを、歌や「うたうこと」という極めて実際的で身体的で大衆的な実践の系譜から眺めること。僕は、著者の目標はこのあたりにあると見たが、違うだろうか。

まだ半分残っているので、読了してからまた書きます。(つづく)

さきほど読了。歌を社会的文化的コンテキストで解釈するとき、政治性だけを強調しても、また文化的側面だけを取り上げてもダメだ、ということはわかった。明治以降の近代化を国是とした政府の方針に沿った「国民国家の創造」、「国民づくり」という大義のために、歌は巧みに利用された。それは「芸術としての音楽」という今の考え方からはおよそ想像しにくい歌のあり方だが、皇民化教育だけでなく、健康のため、歴史や地理の学習のためにおびただしい曲や歌が作られ、更に、歌には踊りが付けられて、実用的な道具として流通し、人々の記憶に刻みつけられてきた。そしてそれは過ぎ去った過去のモノではなく、近過去〜現在の歌にも生き続けている。

だいたいこんなところが内容だ。

さて、僕が興味を持ったのは、というより、自分の経験に照らして同感だったのは校歌の部分。外国の学校ではほとんど存在しない校歌というものが、何故、日本中の津々浦々の小中高校から大学はたまた専門学校までに存在し、今なお歌われているのか。これは僕にとっても謎であった。帰属意識という説明だけでは足りない。さりとて、「国民国家の創造」という政治性だけでもない。しかし、校歌を「学校の歌」という枠組みから外し、コミュニティー・ソングとして考えると、それは、「国民づくり」のための歌であった唱歌や、卒業式の歌、県の歌、等々と同じく、日本の国民というものを統合するためのトゥールだという見方ができる。

ちょっと考えてみてほしい。「特定の学校の歌」という割には、校歌には驚くほど違いがない。例えば、自分が通ったことのない高校の校歌が聴ける(おまけに歌詞も画面に出る?)唯一の機会は、春夏の高校野球大会での勝った高校の校歌斉唱だろう。しかし、はっきりいって、どの高校も同じメロディーに聞こえるし歌詞だって似たようなものだ。でも、この、同質性こそが校歌の本質だとすれば、校歌も、唱歌以来の「国民づくり」の伝統の流れの中にあるのではないか。

僕は校歌を貶めているのではない。もはや小学校から高校まで、自分が行った学校のすべての校歌を忘れてしまったけれど、「学校では全員で校歌を何度も歌った」という記憶ははっきりと残っている。それで充分だろう。

校歌のように、日本人には当たり前の歌が、実は当たり前ではない、という「視線のずらし」が、この本には幾つもある。それは、笑えるかどうかはともかく、面白いし、著者の実証的な研究と、カルスタ風の分析の賜物だと思う。最後の「うたごえ運動」の部分まで鋭い指摘が続くし、「うたごえ運動」は、その余韻をかすかに覚えている世代なので、興味深かった。ただ、その後の展開については、それまで続いていた「国民づくり」という「大きな物語」が終焉したことはほのめかされているけれども、それ以上の言及はない。

校歌については面白い出来事があった。数年前、或る研究会の後のカラオケで、僕がD大のカレッジ・ソングを歌った。思い出すだけでも恥ずかしいが、何故か歌ってしまったのだ。なお、六大学野のおかげで、卒業生でもないのに、早稲田大と慶應大の校歌をハミングできる国民は少なくないが、それ以外の大学の校歌が人口に膾炙しているとは思えない。ところが、幸か不幸か、幾つかの大学の校歌はカラオケにも入っているのだ。カラオケに入っているということは歌詞も読めるということだ。

それで、その時にとても面白かったのは、僕の歌に触発されたKG大出身のYさんが、「それではワタシも・・」とKG大の校歌を歌いだしたことだ!KG大の校歌を聞いたのはその時が初めてであった。すると、対抗心からか、それに続けてR大卒の会員がR大の校歌を歌いあげたのである!(笑)

この意外な展開を見て、「へぇ〜〜」と唸ったのが、某国立大学で民族音楽学を教えているN先生。N先生は東京の国立大学の出身なので、大学と校歌の結びつきは希薄だった、というか、大学の校歌を知る国立大学の学生がいるのか?京大とかの旧帝大には校歌はあるだろうし、それには旧制高校の寮歌みたいな雰囲気があるのかもしれないが、ほとんどの国公立大学の校歌については、その大学の学生ですら知識も感心はないと思う・・ていうか、国公立や私立を問わず、そもそも大学に校歌は必要なのか?

なお、D大のカレッジ・ソングは、学校の歴史に由来するのか、歌詞は古い英語である。意味すらわからない。(笑)そんな歌は覚えていて、小中高の日本語で書かれた校歌をすべて忘れてしまっている僕も妙だが、記憶をたどると、カレッジ・ソングを覚えている理由は「学生野球の応援」であることがわかった。だって、野球の応援の時くらいしか校歌を歌う機会はないではないか。負け試合しか記憶がないが。

蛇足:著者は、「おわりに」で、こんな歌があったのかと読者は笑うかもしれないので、電車の中で読むときは気を付けて、という意味のことを書いているが、読者を甘く見てはいけない。僕も電車の中で読んだが、気を付けるほどの中身でもない。筒井康隆の小説でもあるまいし、ちょっと大げさだ。なお、この本全体から感じることだが、前置きと説明が過剰である。「ふつうはこう思われているけれど、実はこうなんですよ」という謎解きを読者も楽しんで下さいね!・・と著者は言いたいのだろうが、そんなことはわかっている。






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
Asianimprovさん

いつも面白い本を紹介してくださって感謝です。この本も取り寄せて読んでみます。ところで、「換骨奪胎」の意味を教えてください。まじで。。。(笑)
蒼い雪
2011/03/05 05:07
すみません、何度も。本といえば。。。このあいだニュースで見たのですが、「日本の植民地支配と国籍と戸籍」といった感じのタイトルの本が最近出たようなのです。かなり面白そうなので、読んでみたいとは思うのですが、何しかお値段が。。(笑)もし、Asianimprovさんなり、どなたかご興味があって、読まれる方がいらしたら、また買って読むだけの価値があるのかどうか教えていただければ有難いです。すみません、asianimprovさんの話題とはまったく関係のないコメントで。。。
蒼い雪
2011/03/05 05:14
かんこつだったい:《骨を取り換え、胎(こぶくろ)を取ってわが物として使う意》先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること。

(注)単にサイトの辞書機能を使っただけです。
asianimprov
2011/03/05 07:30
二番目の本は・・知りません。(@_@)
asianimprov
2011/03/05 07:31
なるほど、こういう事だったのですな。今でも時折、「音楽取調掛」が捨て去ったモノは何だったのだろうと考える事があるので、興味を持ちました。
最近は、日本人とは何だろう、色んなルーツがあるのに、とつらつら思うにつけ、「原風景(うさぎ追いし、のイメージ?)」だって色々あってもよかろう、なんてぶつぶつ言いながら読みそうです;;

・・・と、遅まきながら通りすがった、カレッジソングを持たぬ大学を出(←あると教授陣が喧嘩するでしょうなw)、出身高の校歌は全く記憶になくとも、高校野球ファンだった為にPL学園と池田の校歌は今でもバッチリ歌える者でしたw
etchan
2011/03/11 02:13

コメントする help

ニックネーム
本 文
歌う国民 ― 近代化と「国民づくり」と歌 asianimprovのアジア系アメリカ雑記帖/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる