狂言はモンティー・パイソンである?

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旧い友達というのはありがたいものだ。古典芸能には疎い僕だが、昨夜は、能楽/狂言方面の研究を専門にするK君から届いた解説(緑字)を参考にしながら虚言を、じゃない、狂言を楽しんだ。「虚言」と書いたのはわざとではなくキーボードのミスタッチがそのまま変換されたから。でも、面白いのでそのままにしておく。実際、狂言は虚言ではなく、人間の持つ滑稽さ、馬鹿馬鹿しさを、それも独白のト書き付きで見せてくれる世界に稀なる演劇である。また、最初のトークで千之丞さんが主張しておられたとおり、狂言は伝統遺産ではなく、現在進行形の伝統芸能である。狂言は生きているのだ。過去の遺産として奉るのではなく、アハハワハハと笑うのが狂言の正しい見方だろう。

昨日の夜は「萬斎と茂山一門を同時に見られるというのは珍しい」とK君がコメントしたように、野村万作、萬斎の親子に千作・千五郎親子、そして、千之丞・あきら・童司の3代が続くという、もしかしたら豪華な組み合わせ。狂言にはまったく詳しくないブログ主なので本当は自信がないのだが、K君が「最近はこんな組み合わせもあるのですね」と言うのだからそうなのだろう。

最初は「蝸牛」。野村万作&萬斎の父子対決に「国立能楽堂の研修生出身で、万作の会の「若手」筆頭」だという高野和憲が加わる。滑稽この上ない話で、更に、野村萬斎がまるで宇宙人のようなダンス、仕草、発声をする。さすがは萬斎!と唸るしかなかった。身のこなしが尋常ではない。以前にも萬斎の舞台を見たことがあるが、本当にこの人は面白い。各方面からひっぱりだこなのがわかる。

なお、野村万作さんの弟子だったブレンダ・ウォン・アオキは、ロック少年だった十代の萬斎をクルマに乗せ、サンフランシスコのレコード店や楽器屋に連れていったそうだ。確かに萬斎はロックしている。(笑)ブレンダ・ウォン・アオキの舞は能/狂言からアイデアを貰っている・・と書いたらこのブログらしくなるだろうか?(笑)

K君は「山伏物の蝸牛は、動きの達者な萬斎の囃子に乗った舞が見所でしょう。取り違えのばかばかしさが笑えます。蝸牛は薬として用いられたので、このような作品が生まれました。今は、薬というと、病人を想定してしまうので、寿命長久のためという祝言に置き換えています」という解説をくれたが、萬斎の舞と「でんでんむしむし」の囃子、そして、それにまんまと乗せられてしまう万作さんの「受け」の芸が最高であった。ほんとに馬鹿馬鹿しい話なんだけど、この馬鹿馬鹿しさを強引に生みだすところが狂言の凄さだろう。よくわからないが、そうに違いないと直感的に思った。

次の「魚説法」については、「もと漁師の俄出家が、経文を覚えていないので、魚の名前を羅列してごまかすというもの。ダジャレのくだらなさに笑えます。室町末期には「鳥説法」という曲があり、後に鳥を魚に替えたのが本曲です」とのことで、このお経も読めないダメなお坊さんが茂山千作。90歳という年齢にもかかわらず、まるで落語のような言葉遊びを延々と続けるので可笑しい。僕はこの「魚説法」を見てモンティー・パイソンの有名なスケッチ(コント)である「チーズ」を思い出した。「チーズ」には多くのバージョンがあったが、チーズ屋を訪れた客と店主との不条理な会話が延々と続くこの「馬鹿馬鹿しさ」と同様の「馬鹿馬鹿しさ」が狂言にもあったことに失笑してしまった。でも、狂言もモンティー・パイソンもかなりブラックな笑いを生みだすという部分で重なり合うのではないか。

最後の「素袍落」は長丁場で、科白も多く、いつ終わるのかと気になったけれど、最後のほうの、酩酊した太郎冠者が支離滅裂になっていくところは見事だった。滑稽さと同時に狂気も秘めている。K君は「素袍落はよく出る狂言ですね。太郎冠者が一番の見物ですが、あいかわらず千之丞が勤めるですね。本来なら、あきらが太郎冠者で、おじいさんは脇役の主くらいでいいのに」と書いてきたが、なるほど、役者を取り替えても出来るのだ。そういうのも狂言の面白いところなのかもしれない。

メールの最後をK君は「いいなあ、狂言見たいなあ・・・。」と結んだが、実際、大学の授業、学生の世話、自分の研究、資料の収集で忙殺され、能や狂言を観る機会が減っているそうだ。専門の研究者からうらやましがられるというのも妙だが、うらやましがられても決しておかしくない狂言の夜であった。

モンティー・パイソンで思い出したが、野村萬斎の奇妙な動きはジョン・クリーズのSilly Walk(バカ歩き)に通じる、というか、そのものではないか!萬斎はモンティー・パイソンのファンに違いない!違うか?(笑)


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