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zoom RSS 真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝

<<   作成日時 : 2010/12/16 22:11   >>

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このブログに何故この本が?と思われるかもしれないが、この、特異な人生を歩んだ真珠湾攻撃隊(海軍航空隊)の総隊長であり、自らも戦闘機に乗って指揮した人物は、単なる勇壮な軍人ではない。この本の書評は多く書かれている(ハードカバーは数年前に出ている)が、私が関心を持った部分を取り上げたひとは少ないと思う。

それは、敗戦後、淵田氏(終戦時は海軍大佐)が横浜の占領軍総司令部に呼び出されるところから始まる。「東京ローズ」の記事を書き逃した米人記者が、かわりに真珠湾攻撃を指揮した人物を取材するためであったそうだ。通訳は日本語のできる日系二世兵士がつとめた。階級は少尉。

淵田氏は書く。

「私はアメリカの軍服を着用している日本人というものに初めてお目にかかるのだから、この野郎とばかりに睨みつける。

彼は、気が引けるのか、小声の日本語でささやいた。

「こんな事情に立ちいたりまして、まことにお気の毒です。私、下手な日本語しか出来ませんが、通訳させて戴きます。」

この真面目な一言に、私は胸あたたまる思いがした。

私は彼を励まして言った。

「ああいいよ。さあ始めろ」

記者を前にしてのインタビューは終わり、記事が淵田氏の顔写真とともに米軍の新聞の一面を飾る。

その新聞を見たのだろう。その後、知らない黒人兵士三名が淵田氏を宿舎に訪ね、出てこいというので、恐れを抱きながらも淵田氏は従う。行先は、なんと、その黒人兵が働かされている丸の内のビルのバーであった。黒人兵たちは淵田氏をバーの「楽屋裏」に連れていき、たくさんの食べ物やウイスキーをさしだす。淵田氏は「案に相違の大歓迎であった」と書いている。三人だけでなく、そのバーで働く別の黒人兵たちも淵田氏を「飲みねえ」「食いねえ」(淵田氏の表現)ともてなした。

淵田氏は「なんのためにこのような歓迎を受けるか見当がつかなかった」のだが、彼らのジェスチャーなどで、歓待の理由がわかってくる。

それは 「真珠湾空襲を誰が一番喜んだと思うか」 との問いかけであった。

そして、その答えは 「われわれ黒人だよ」 と言うのであった。

米国での人種差別の深刻さを味わった淵田氏は「この皮膚の色が違うというだけの宿命的な人種的偏見の悲劇のひとこまをここに見て、胸ふさがる思いであった。真珠湾のお礼などと、とんでもない。人種を越える人類愛こそ、万世の為に太平を開く日本の使命である。」と結んでいる。

このエピソードを読み、ブログ主は、スタッズ・ターケルの『よい戦争』を想起した。

『よい戦争』"THE GOOD WAR"には黒人だけで編成された戦車大隊の将校の話が収められている。チャールズ・ゲイツというひとだが、彼は、黒人部隊だからという理由で国内で待機を余儀なくされていた大隊に、パットン将軍が出撃の命令をした時のことを笑いながらターケルに話している。(P.288-293)

パットンはしばらく訓練をみてた。ついにこういったんだ。

「諸君はアメリカ軍中、戦闘に使われる最初の黒人戦車隊になる。私は諸君が自分自身のためにも、諸君の人種のためにも好記録をつくってもらいたい。諸君が私がウソツキだったと証明してほしい。諸君が戦闘に参加したら――すぐにそうなるのだが――ドイツ野郎のトンチキをみたら、決して弾薬をけちってはいかん」

とな。もちろん、黒人ははやしたてた。なにしろ白人が黒人にむかって白人をやっつけろっていってるんだからな。そうさ、あれにはおれたちはまいったよ。(笑う)


442部隊に「きみたちは戦争に勝っただけでなく人種的偏見にも勝ったのだ」とかカッコイイ科白を言った大統領そっくりだけれども、要するに、米国内での人種差別は、以上のような感情を伴った言葉を黒人の兵士から吐かせるほどひどいものであったのだ。米国の部隊は人種ごとに編成された。なお、黒人の戦車隊も黒人の飛行隊もとても優秀だったそうだ。

この淵田美津雄の自伝は、真珠湾攻撃にまつわるエピソードや、「軍神」を作るために手柄争いをする陸軍、ミッドウェイ海戦の失敗、山本五十六凡将説、そして、戦後、キリスト教に入信し、米国中を回って活動する淵田氏の「回心」など、いずれを取り上げてもその部分だけで議論が起きるほど濃密で論争的なものである。

しかし、以上とは別に、名も知らぬ黒人兵(バーで働いているのだから、兵士としての位は低いだろう)からも「真珠湾攻撃の総指揮官」として尊敬のまなざしで見られる淵田氏の人格や人間味、そして、黒人兵たちのふるまいから、米国での人種差別の理不尽さを直ちに理解する淵田氏の頭脳明晰さと他人を思いやる心根が僕には印象に残る。

はっきり申し上げて、軍隊のことや作戦の優劣は素人にはわからないし、戦後のキリスト教への入信やキリスト教徒としての世界的な活動についてコメントするのも――感動的なエピソードが幾つも収められているものの――難しい。そもそも、本を一冊読んだだけで人間の精神的な葛藤がわかるわけがない。ただ、私の知り合いに、戦時中、軍国少年で、陸軍幼年学校にいたが、終戦を期に、キリスト教徒になり、教会の牧師になったひとがいる。何故このひとがエリート軍人(幹部候補生)を養成する学校へ通っていたの?と思うほど柔和で優しい人物だ。

今まで絶対的に信じていた思想や心の拠り所が否定された時、それに代わる「なにか」を希求する気持ちは理解できる。淵田氏も私の知り合いの元牧師さんも、新しい拠り所がキリスト教であったのだ。キリスト教徒になったばかりか、敵国だった米国に何度も行って教会を廻った淵田氏をよく思わない元軍人も多かったというが、それはそうだろうな、と思う。淵田氏の信念は、しかし、その種の批判などおかまいなしで、しかし、戦争を忘れたわけではない。真珠湾攻撃の際に被弾した飛行機(55名が戦死)が落ちたハワイの場所を訪ね、部下を慰霊する淵田氏の姿には涙腺が緩んだ。

これは単なる偶然だけれど、淵田氏は私の高校の大先輩になる。また、淵田氏が戦後や晩年を農業をしながら過ごした場所は、うちから遠くない。こんな近いところに真珠湾攻撃隊の指揮者が住んでいたことを僕は知らなかった。更にこれも偶然だが、真珠湾攻撃のとき、私の帰米二世の大叔父は、ワイパフの高台から、翼に日の丸のある戦闘機が飛来するのを見ていた(*)。ワイパフは真珠湾の西側にある。以前にもこのブログに書いたように、戦前のオアフ島ではホノルルに次ぐ規模の日系移民コミュニティーがあった地域である。大叔父はその日のうちにFBIに連行されたというが、スパイでなかったことは言うまでもない。

*空母から飛び立った海軍航空隊の飛行経路を調べてみると、ワイパフ上空を飛んだ日本の戦闘機は、水雷部隊のようだ。真珠湾のような水深の浅い湾内でも飛行機から魚雷をうまく落とせば敵艦に当てることができると、淵田中佐(当時)が鹿児島で航空兵を猛訓練したことは知られている。私の大叔父が目撃したのは爆弾ではなく魚雷を積んだ戦闘機だった可能性がある。

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