中山 ラビ 「人は少しづつ変わる」.wmv



つい先日、とある会で、「中山容さんはどんな人だったか」と尋ねられた。アジア系アメリカ文学関係の集まりなのだが、容さんという人は、大学で英米文学や米国史を教えていたのに、アカデミックな活動をしているのを周囲に見せたことがなかった。実は、アメリカの大衆文学についての論文などを、研究者としての名前(本名)で書かれていたし、僕はそれを読んだことがあるのだが、中身をほとんど覚えていない。それは、確か、ダイム・ノベルという、古いアメリカで出版された薄っぺらい冊子のような本についての論考だったと思うが、さだかではない。

John OkadaのNo-No Boyの翻訳は、勘違いの誤訳がちょっとあるのを吹き消すほどの迫力だった。いかにも容さんらしい闊達なリズムに乗った口調で登場人物が喋り、動く。対話だけでなく、主人公イチローのモノローグがこの小説のキモだ。会話体に強い容さんは、その後、スタッズ・ターケルの邦訳という、トンデモナイことを試みる(そして売れる)のだが、No-No Boyでイチローの心が揺れ動く時も、容さんの日本語は、ジョン・オカダの、ややゴツゴツした、決して流麗とはいえない英語の感じを壊さず中身を伝えている。イチローを取り巻く家族や友人たちとの際どい場面や暴力的なシーンでは、容さんの切れのある文章が読者をひきつける。「そうじゃない」ではなく「あ」を入れて「そうじゃあない」という文体を好んだ容さん。(笑)リズムに敏感なのは詩人であり、ビート詩人たちを紹介した容さんの真骨頂だろう。

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容さんは、No-No Boyを三日で訳したと言っていたが、これは僕の聞き違いで、一週間だったかもしれない。とにかく、訳すのは早かった。どんな小説であれ、喫茶店に原書と辞書を持ち込んで、せっせと訳していた容さんを今でも思い出す。ある時、翻訳のお手伝いを頼まれ、しかし、約束の日までにできなかった。電話がかかってくる。「○○さん、時間がないから、読んで!」「えっ、今読むんですか?」「うん」。仕方がないので電話で(もちろん、固定電話だ)立ったまま原稿を読み上げると、瞬時に「そこはこう直したほうがいいね」と修正が入る。赤ペンを入れる私。ワープロもパソコンもない頃だ。冷や汗タラタラである。容さんの手元には原書があり、こちらには試訳がある。僕の日本語を耳で聞いて、即座に翻訳し、僕に返してくる。それを僕が書きとめる。いったい何分がたったのか覚えていないが(覚えているわけがない(笑))、原稿が完成し、電話を切った僕は、清書を始めた。これで「これは私が訳しました」などと言えるのか。恥ずかしい。

「こんなややこしい作業をするなら、容さんが最初から訳せばええのに・・」とも思ったが、しかし、自分より若い者に仕事を、いや、「経験を回してくれる」のが、中山容という人に一貫した態度だったように思う。そういう惜しげもない生き方を、ディランを訳し、詩や歌詞を書き、フォーク・シンガーをコーチしていた(「コーチ」という表現は片桐ユズルがよく使っていた)1970年前後から、90年代後半に亡くなるまで、容さんは、ずっと、やり続けた。晩年は大学から派遣されたタイ国東北部の魅力に「はまり」、現地でタイ語を学び、あの難しい言語を書いたり話せるようになっていたが、学生からは相変わらず慕われていて、京都で開かれた「送る会」では、ゼミの学生さんが泣きそうな顔をしていた。

結局、アジア系アメリカ文学の会で、僕は容さんについて、これといった説明も、紹介も、できなかった。以上のような記憶の断片でもよかったのだが、文学研究と中山容とは、結びつかないので、困る・・いや、困らないか。(笑)東京での「中山容をしのぶ」集まりには、中山ラビはもちろん、高田渡、遠藤賢司、泉谷しげる、中川五郎、大塚まさじ、田川律、渡辺潤などが来たそうだし、京都の集まりには豊田勇造の姿があった。容さんは文学の専門家ではあったが、容さんの世界は文学や音楽を分けるのではなく、いっしょにして、時代を見ていき、変えようとする方向性を持っていたと思う。容さんが死んでも英文学のひとたちは来ない。かわりに、上記のようなとんでもないメンバーが顔を揃える。これで充分じゃあないか。

上記の人たちは、中山容や片桐ユズルを経由したボブ・ディランから影響を受けているフォーク・シンガーだが、容さんは決して権威主義にはならないので、フォーク・ソングの時代は遠くに去り、突然のように65歳で逝ってしまっても、あたかも昨日のことのように、この人たちは、容さんとシェアした時間や時代のことを、夜遅くまで語り合えるのだろうし、語ったに違いない。十年間歌を封印していたかつてのパートナー、中山ラビが、容さんが亡くなったことで、再び歌いだすという大きなオマケまで付いた。いや、オマケは失礼か。ラビさんは今もバンドを連れて歌っている。

「人は少しづつ変わる」は、古いアルバムに収録されていた曲で、ラビさんは今も歌っている。別のYouTubeで数年前のを見ることができるが、ここでは、オリジナルを引っ張ってきた。ラビさんは忘れているだろうが、拾得でのライブが終わった後、ラビさんと容さんをクルマに乗せて、真夜中の京洛を銀閣寺道まで飛ばし、うどんを食べたことがある。それがただ一度の邂逅で、ラビさんは私を覚えているはずもないが、こっちはウン十年たった今日も覚えている。ラビさんの存在は圧倒的で、しかし、話すと少女のような「あどけなさ」もあった。・・と、これ以上勝手なことを書いたら国分寺の方向から叱られそうなので、このへんで、曲を聴いてほしい。

追記:容さんの周囲には不思議と面白い人々が集まってきた。それはミュージシャンだけではない。UCLAのユージ・イチオカ教授は容さんの翻訳を絶賛していた。私が証人だ。デイヴィッド・ムラは容さんを実の父親のように慕っていた。彼の本にそう書いてある。ジョン・オカダの実弟で、著名な画家でオレゴン大学の教授もつとめたフランク・オカダは、来日する度に容さんと飲んでいた。容さんはアルコールはまったくダメで、コーヒーとタバコの人だった(それが胃ガンの遠因だったのかもしれない)が、フランクさんはそんなことを気にせず、美味しそうに日本酒を飲んでいた。そして、「兄を尊敬している」と口にしたが、「フランクさん、<強制収容所>について聞かせてほしいんですけど・・」と尋ねるニホンジンの<若造>には、顔を紅潮させて、「君は<強制収容所>という言葉を使うべきではない。あれは<転住所>だったのだ」と明言した。なにもわかってない<若造>は、茫然と立ち尽くすしかなかった。

このブログはその<若造>の「なれの果て」である。やれやれ。(苦笑)

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『ファーリンゲティ詩集』片桐ユズル+中山容訳編(思潮社, 1968)

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この記事へのコメント

トド
2010年11月18日 22:48
興味深いお話ありがとうございました。
中山容さんはディランの訳詞とラビさんつながりしか知りませんでした。

ところで、先日のラビさんのライヴ良かったです。
ますます磨きがかかっているような感じで。
2010年11月20日 10:23
>トドさん

コメントありがとうございます。続きを書きます。

中山容さんにはディランなどの訳者、フォークソングへの関わり、英米文学者、詩人、等々の幾つかの「顔」がありました。本名を使っていたのは英米文学者という立場の時で、ですから、平安女学院大学や京都精華大学の先生の名簿には中山容という名前はありません。ある学生が、目の前で講義している○○○教授が実は中山容と同一人物だと知って驚いた、という話は何度もあったそうです。

容さんは、1958年?にフルブライト留学生としてサンフランシスコに滞在し、ビート詩人に出会います。片桐ユズルとはサンフランシスコへの船内で知り合います。後に、ファーリンゲティやウィリアム・カーロス・ウィリアムスなどの訳詩集をこのふたりが出します。これらの詩人が日本のアカデミズムの世界では見向きもされなかった時代です。ちなみに、フルブライトの試験は何百分の1しか合格しないとか。

その後も、60年代の後半や70年代に渡米し、「フィルモア・ウエストでCountry Joe & The Fishを見た」とか「Grateful Deadも見た」とか、僕にはそんな話をしてくれました。既にフィルモアは閉じており、うらやましくてヨダレが出ました。(笑)
トド
2010年11月21日 18:03
なるほど。フルブライトで留学ですか。
日本の優れた政治家・学者などを多数排出していますのでその1人だったということですね。
しかし、ビート詩人との交流やあのフィルモアでライヴを観たなんて羨ましい体験をされてるとは。
ただの優秀な学者ではない、ということが分かります。
生存中にお会いしたかったです。

PS:先日のラビさんのライヴ音源をお送りしたいと思いますが、以前お聞きした住所で変更無しですか?
ハリー
2010年12月28日 22:44
はじめまして、 
ラビさんの事を検索して来ました。
僕はボブ・ディランが好きでラビさんを知るようになりました。中山容という名前も本名じゃなかったんですね。驚きました。容さんがキリスト教のレコードを出した頃のディランについて、詩人は路上に止まるべきだって書いている1978年のユリイカのディラン特集号を宝物として持っています。 中山容さん事を知る事ができて嬉しかったです。ありがとうございます。

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