うつろ舟 ― 日系ブラジル文学とは?

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「ブラジル文学界最長老の選集を編みましたのでお届けします。北米の移民小説とは違いがあるのでしょうか。いずれ感想をお聞かせ下さい」という便箋が挟まれて拙宅に届いたのが『うつろ舟』松井太郎著(松藾社)2010。「ブラジル日本人作家 松井太郎小説選」と表紙にあるように、ブラジル在住のベテラン作家、松井太郎氏(兵庫県神戸市生まれ。19歳前後にブラジルへ移住)による中編、短編小説を編集したものなのだが、本の半分以上を占めるのが「うつろ舟」と題された中編小説で、まずはこれを読んでみようと椅子に座った。

ところが、そもそもブラジルの自然や文化や移民社会に疎い私には、この作家が描写する事物がなんなのかがわかりにくい。更に、この物語は、訳あって、日系人社会から遠く離れた「辺境」(←登場人物に「辺境」と語らせている)に暮らす孤独な人物が主人公であり、日系社会の中、或いは中と外との関係において完結する種類のエスニック小説ではない。かといって、内省的な私小説でもなく、それなりの「出来事」もあり、ストーリー性も備えている。但し、「出来事」といってもそれらはEvent(大事件)ではなく、どちらかというとIncident(できごと、小事件)に近い。戦争とか勝ち組対負け組の対立というような「大きな出来事」ではなく、かといって、まれに起こるHappening(偶発事件)でもない。一般論だが、生きる人間にとって最も卑近な「出来事」は、「イベント」でも「ハプニング」でもない、その中間的な「インシデント」ではないだろうか。

主人公の素性も、一応は説明されているが、つかみどころがない。主人公(二世である)の謎めいた部分を作家、松井太郎は描きたかったのだろうし、謎めいた部分が、たまたま出会った女性たちや、赤ん坊、河漁師、昔の友人などとの関係により、あぶりだされていくのだろうと期待してしまうのだが、そういう展開は裏切られ、最後には、「置いて行かれた」ような、居心地の悪さが残る。しかし、同時に、主人公の、愚直なまでの正直な心情の吐露については、その語り口の素朴さを含め、こんなに素直でいいのだろうかと、妙な感心をしてしまうのだ。

描写力で印象に残るのがブラジルの自然と災害で、火事にしても洪水にしてもスケールが違う。また、作者の文体は、時折、説明臭さが気になるとはいえ、丹念で丁寧だ。ブラジルの自然と人間の交通が重なる場所/流れは河川である。「うつろ舟」は、カヌーや筏で移動する旅の話でもある。最初は「ロード・ムービー」と呼ばれる映画のようにも思えたが、読み進むうちに、そんなロマンティックな旅ではないことがわかる。男と女と赤ん坊、死と生と性を乗せたカヌーがよどんだ泥水の沼か河か川かわからないところを移動していく「冒険譚」により近い。

それから、食べ物。これもブラジルのことを知らない私にはとっつきにくい。特に食べ物が物語の重要な要素ではないので、気にしないで読み進めることもできるが、小説のなかで、何人もが病気に罹り亡くなっていくことと、決して衛生的ではない環境とは無関係ではなかろう。

しかし、主人公は、限りのない悩める独白をしながらも、それなりの方向性を見つけ保ちながら生きていく。不思議なのは、主人公にユーモアやジョークが少ないことで、それは、彼自身が背負っている過去と関係があるにせよ、生真面目に過ぎるような気がする。ところが、生真面目な主人公とは関係なく、ストーリーには不自然な飛躍があり、私は何度か戸惑った。戸惑ったけれども、自分の周辺をたんねんに見据え、信じる道を選ぶ主人公の真摯な態度(細川周平さんは「「筋を通す」生き方」と解説で述べている)は一貫しており、その部分で最後まで読ませた。私にとっては不思議なスタイルの小説であったけれども、細川周平さんが解説で述べておられるように、「言語的な孤立のなかで書く孤高の作者」だと思う。「うつろ舟」の主人公も、意図するしないは別にして、「孤高」な生き方を選んでいる。残念ながら、「孤高」で生きることは至難の技なのだけれど・・

同じく解説を書かれている西成彦さんは、松井太郎の文学について「異国体験を書く一世の文学でもなく、多文化主義的な国民統合原理に従属する形での現状容認でもない」という指摘をされているが、なるほど、この「うつろ舟」は、そのいずれにも属さない、まさに、「うつろ」な、ブラジルと日本の間でふわふわと浮いているような、揺れ動くカヌーのような所在のなさを感じさせる作品である。しかし、繰り返しになるが、「おれ」というひらがなの一人称で自分を語る主人公は、頑固なまでの信念を持つ。高等教育を受けているからではなく、それは、小説のなかで、忘れた頃に表れる「日本人性」と関連しているのだろうが、一読しただけの私にはなんともいえない。

「多文化主義的な国民統合原理に従属する形での現状容認」(西成彦)というのは、一部のアジア系アメリカ文学のことを指しているんだろうな・・と、苦笑してしまいました。厳しいご指摘!(^^;)

なお、この作品「うつろ舟」には、ステレオタイプ的な人物は登場しない。みんな、どこかに影を持つ人物で、他人には気楽に話せない過去を背負っている。そして、過去を背負いつつ、流れに竿を挿して生き延びようとしている。この小説は一種の「サバイバル物語」であるが、作者の松井太郎氏自身も「サバイバル」してきた人物なんだろうなぁと思った。

北米の日系人作家の作品との比較だが、私はその任ではない。細川さんのお役に立てず、恥ずかしい。そういう比較論ならば、例えば、日比嘉高さんにお願いするのが適切と思う。しかし、献本されて何もしないのは心苦しいので、読んだ直後の感想を書いてみたというわけだ。ああ、冷や汗がでる。(^^;)

追記:「たつき」などの、馴染みのない日本語の単語の使用は、松井太郎氏の小説の特徴なのか、それとも、「コロニア文学」から「ブラジル日系文学」などの雑誌で読める日本語で書かれた他のブラジルの日系作家の小説にも見られるものなのか。勉強不足でこれもわからない。なお、松井太郎氏は93歳で現在も執筆活動中。サンパウロ在住。

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この記事へのコメント

蒼い雪
2010年08月26日 23:54
読みたいと思っていた本です。神戸出身の方だし。。(笑)この本に関しては、黒川創氏の考えに共感しました。細川氏が新聞記事に書かれていた松井論には異議を唱えたいと思っていました。「言語的な孤立のなかで書く孤高の作者」という見方には、私は反対します。。(笑)ぜひ読んでみなければ。。。

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