ローソン・フサオ・イナダ ― ウエッブサイト「風」より

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ブログ主の畏友である須藤達也さんが「風」というサイトに連載を持っている。このシリーズのタイトルは「日系アメリカ人と日本人」。このサイトを運営しているジャーナリストの川井龍介さんがジョン・オカダと"No-No Boy"を追いかけている関係もあり、充実した読み物になっているが、今回アップされた第4回 ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人は、日本語で日系アメリカ人の詩人イナダを紹介しその作風を解説した文章として傑出している。

イナダについては、本ブログでも、 "Legends & Legacies" Wong with Lawson Fusao Inada 、 詩と音楽のCrossroads - Denver Union Stationを聴く、  Instructions to All Persons / Lawson Fusao Inada と、過去に3度取り上げているので、興味のある方はご参照下さい。

私は、自らが朗読することにより自作の詩に命を吹き込むというこの詩人の方法論が好きなので、詩集を読む時も、「この詩をローソンはどういうふうに朗読するのだろう?」と想像してしまう。また、イナダの詩には絶えず背後に音楽が鳴っている・・ような気もする。リズムに乗れば、たとえ詩の意味がよくわからなくても、そのまま何処かへ連れて行ってくれる。ローソン・フサオ・イナダはそういう詩を書き読む詩人だ。"Legends & Legacies"以外にも、自作詩朗読のCDを出してほしいものだ。

From Our Album

Ⅰ. "Before the War"

"Before the War"
means Fresno, a hedged-in house,
two dogs in the family.

Blackie, the small one, mine,
lapped at his insides
on the floorboard, on the way to the doctor.

Jimmy, my father's shepherd,
wouldn't eat after evacuation.
He wouldn't live with another master.

and pined away, skin and bone.

With feelings more than pride,
we call him our one-man dog.


from "Before the War" Lawson Fusao Inada (上写真)

強制収容を背景にした哀しみが感じられるが、鬱々とはしていない。

なお、この詩集には、まるでベースの弦がはじけるような、即興的な作品も多いのだが、紹介する時間がないのが残念。







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この記事へのコメント

蒼い雪
2009年09月04日 01:43
この方、去年のツールレークの巡礼で、講演?されました。すごく面白くて楽しくて、会場は爆笑の渦、でも締めるところはきっちり締めて、みんなをしんみりさせることもできる、すごい力をもった人だなあ、と感嘆したのを覚えています。今回、彼の背景を教えてもらって感謝です。それにしても、こういう人の存在を知れば知るほど、日本語人としての限界を感じてがっかりです。。日本語人の日本人に英語人の日系人のことが、ほんとはどこまでわかるの、とまで言い切ってしまえば、かなり怒られますよね。。(笑)私の勉強不足だ、と言い返されればそれまでですけど、自らがともに育ち、自己形成した母語の問題と移民の姿、というのはもっと掘り下げられてもいいんじゃないか、と思うんですけどね。。
2009年09月06日 18:33
蒼い雪さま

どもども。イナダの講演!一度でもいいから聞いてみたいなぁ。あの良く通る声で、詩を朗読するように緩急をつけてジョークも交えて・・。ええなあ。

さて、「日本語人としての限界」ですが、蒼い雪さんも僕も母語は日本語ですけど、自分が母語のはずの日本語を縦横無尽に使えているのか?、もしかしたら日本語でなくてもいいんじゃないか?、などという妄想をしたことはないですか。勿論、日本語以外には非常~に拙い英語しか使えない僕が言うのも矛盾していますが、でも、ブログをやっていていつも落胆するのは、「自分が如何に日本語が苦手かを思い知らされる時」で、だから、なにがアジア系アメリカだよ!と突っ込まれると立ち往生なんですよ。ほんまに。(苦笑)

これは「勉強不足」もありますが、では、英語ペラペラのプロの同時通訳者になれば問題が解決するとも思えません。

母語の問題や、「日本語人」と「英語人」の問題が私たちの前に高い壁として立ちはだかるのは、「日本人が日本語を母(国)語だとあまりにもあたりまえのように信じ込んでいることに由来する大いなる弊害」のせいではないかと思うのです。

議論の方向が違うかもしれませんが・・

蒼い雪
2009年09月10日 04:39
ブログ主さま、はい。確かに議論の方向が違うように感じられます。(笑)母語というのは、その言葉が社会のメインストリームとして話されている社会の空気を無意識のうちに吸って育って、その社会規範を身体に刻み込んで手に入れる言語能力のことですね、私の考えでは。ですから、ブログ主さんが日本語を苦手と感じられるのなら、それは確かに勉強不足だと思われます。(笑)日本語以外の言葉を母語にしたら、といった妄想を抱いたことはありません。私が日本に生まれ育ったのは、私の選択ではありませんから。妄想を抱くといった、恣意で決まることではないと思われます。母語を選ぶことはできませんから。日本人だから、日本語を母語だと思いこんでいる、というのは、議論の前提が逆転してるように感じられます。私のスタンスは、もう「日本人」という意識を前提にするところからはずれてしまってるような気がします。あれあれ、わからなくなってきました。退散です。。(笑) 
2009年09月11日 19:32
いや、蒼い雪さんが正論なんです。あまりにも正論なので茶化すしかなかった。すんません。(^^;)

ただ、外国語理解の可能性は、「根拠のない自信」や「想像力」また「妄想力」さえ動員しないと「やっぱり外国語なんて理解できないわ」で終わりになります。だから、どこかで飛躍(ジャンプ)をしないと仕方がないのではないでしょうか?無論、努力という最も困難な仕事も必要ですが。

ローソン・フサオ・イナダのことを知れば知るほど日本語人としての限界を感じる・・というのは、彼が詩人だからですか?外国語の詩を理解するのは確かに大変ですが、詩を理解するのは英語人にとっても大変です。なお、イナダの作品は難解でシュールな現代詩ではないので、僕は「限界」は感じないです。「じゃあ、訳してみて!」と言われたら青ざめますけど・・。

グラナダ収容所の別名「アマチ」と「アマテラス(天照大神)」と「アメリカ」を言葉遊びのように持ってくるローソン・フサオ・イナダが僕は好きで、何故かというと、こんな発想は「日本語人」にはあり得ないから。詩人の想像力と創造力はこういう意外性を生みだします。
蒼い雪
2009年09月12日 02:39
そうでした、この方は詩人だったんですね。私は、日本語でも詩はわかりません。。(悲)使用言語にかかわらず、文学はだめな人間でした。すみませんです。変につっこんで。。それにしても、言葉の壁は大きいです、ほんとにほんとに。。。なんとかしてくれえ。。。(悲笑悲)

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