熱帯雨林の彼方へ ― 彷徨うフリークス

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カレン・テイ・ヤマシタのデビュー作。わけがわからないプロットと、フリーキーな登場人物あるいは登場動物あるいは登場物質あるいは登場物体により読者は翻弄される。以前にも述べたが、まさに、ヤマシタ得意の「嘘ですらない世界」を描いた長編小説である。うがっていえば、「小説ですらない小説」と呼んでもいいが、マジカル・リアリズムという範疇に回収するのは勿体ないし、ヤマシタ自身も自分の作品をマジカル・リアリズムだとは考えていないそうだ。

粗筋を説明してもあまり意味はないが、異形の人がいっぱい出てくる。カズマサ・イシマル(主人公、日本人)の頭の数センチ前を軸を中心に回転するボールがこの作品の語り手だ。ボールは特殊な能力をカズマサに与えるが、カズマサにとって日本での生活は次第に窮屈になってくる。そこで、従兄弟が居るブラジルへカズマサとボールは移住する。そのブラジルでカズマサが関わる奇妙な人々、そして正体不明のプラスチックの大地「マタカン」が出現し、ボールを持つカズマサの、そして他の登場人物の運命も大きく変化する。

カズマサとボールの他、腕が3本あるアメリカ人事業家、乳房が3つあるフランス人女性鳥類学者、伝書鳩ビジネスの夫婦、天使のようなシコ・パコ、そして「マタカン」が出てくる。こう書いても読んでいない方々には「なんのことやら・・?」だろうが、実は、読了している僕だって「なんのことやら・・?」なので心配はいらない・・!?(苦笑)

フリークたちの設定並びに振る舞い、行動は尋常ではないが、かなり戯画化されているとはいえ、作品の随所にのっぴきならない現実を裏焼きしたような説明があらわれるので、読者は失笑を禁じ得ないだろう。ただ、これは好みの問題なのかもしれないけれども、ちょっとひねりすぎではないかな?。突飛で空想的で寓話的な内容の隙間に「アマゾンの熱帯雨林の破壊と消失」という環境問題がちらちらと見え隠れするが、これも僕には隔靴掻痒の感が残った。

ただ、この小説は、毛色の変わった小説としても、SFとしても、ファンタシーとしても読めるし、スラップスティックでもある。だから様々な読み方が可能だ。3回読めば3種類どころかその二乗の9種類くらいの解釈ができる作品だ。だから解読は骨が折れる。ボキボキ折れる。まるで熱帯雨林がなぎ倒されるみたいに折れて焼かれる。

ただひとつ言えるのは、この作品が孕む「グローバリズムVS多様性の賞揚」という対立軸で、それは、『サークルKサイクルズ』でも見られた。ただ、この長編においてもまた、ヤマシタは、「小説を小説だと見破られないように逃げて書いている」ように僕は感じる。物語というより、エッセイみたいな要素もあるし、何かの研究レポートみたいなページもある。二項対立で善悪を決めることの不毛さを知るからこそ、形式にとらわれない生き方を望むからこそ、ヤマシタは「逃げて書く」のだろう。唐突だが、村上春樹の初期の作品にかすかに似ていなくもない。(苦笑)

以上のような多様さや流動性や空想や妄想を「面白い!」と思う人はともかく、そうでない人にとっては「他人が書いた夢日記」みたいだろうから、万人に勧められる書物かといえば、逡巡してしまう。が、カレン・テイ・ヤマシタの想像力と、「もはや嘘ですらない」馬鹿ばなし――ヤマシタはこの作品を一種の<ノヴェラ>(ブラジルのソープオペラ風テレビドラマ)だと冒頭で述べている――を体験してみたい方には自信をもってお勧めしたい。


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