「嘘ですらない」ヤマシタの世界 ― AALAフォーラム2009

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英米文学研究というのは、誤解を恐れずに言えば、自分独自の解釈をひねりだす技術である。それが例えその作品を書いた作家が想像だにしなかった解釈であっても問題はない。そして、その解釈が独創的であればあるほど誉められるようだ。無論、荒唐無稽な議論では説得力に欠けるが、とにかく、「私はこう読んだし、それが正しいのだ」と言い切ることが文学研究の目標である。社会科学のように、「○○であるように思われる・・」という表現ではダメなのだ。

文学研究はテクストの解析作業である。目の前のテクストこそが研究対象であり、それをどう料理するかは研究者の能力にゆだねられる。誰も指摘していない事を指摘し、作品に新たな意味を付与することが研究の究極の目標だろう。

ところが、学問である限り、印象批評ではダメで、客観性を保ちつつ解析するには、情報となんらかの理論が必要になる。それは歴史学でも社会学でも心理学でも哲学でも政治学でもはたまた化学でも物理学でもいいのだ。精神分析でもマルクス主義でも脱構築でもいい。あらゆるジャンルの研究成果を動員してテクストを解釈~再解釈していくのが文学研究の醍醐味なのかもしれない。

さて、アジア系アメリカ文学研究会も20周年を迎え、今年の年次フォーラムは凄いラインナップになる。上のチラシを見ればわかるが、カレン・テイ・ヤマシタがUCサンタ・クルズ校からやってくるし、米国や台湾やブラジルからもアジア系アメリカ文学研究の専門家が招集される。

カレン・テイ・ヤマシタを読み込んでいないブログ主でも、ヤマシタのマジカル・リアリズム的な小説群が、テクスト分析の格好の材料として、研究者を多いに刺激している理由はわかる。ヤマシタの小説は、重層的な構造を持つ寓話であり、ケッタイなキャラクターが、異常な設定で、奇妙な行動に走り、夢か現実かという問題さえどうでもよくなるほど複雑で面妖である。しかし、単なる「珍しさ」だけでは高い評価は受けられない。

ヤマシタは、マイノリティー性やアイデンティティやエスニシティーに足場を求めたアジア系アメリカ文学のスタイルではない独特な方法論により、未知の領域を開拓しつつある。それは「現実」でも「虚構」でもない。ホンマでもウソでもない。ホンマとウソという地平には成立しない何かだろう。敢えていえば、それは、「もはや嘘ですらない世界」なのである。

えーっと、更にいうと、ヤマシタは、「嘘ですらない物語」を創作することで、「ある種の超越論的な世界(感)」を読者に提供していると、ブログ主は考えている。「嘘ですらない物語」というメタファーが適切かどうかはわからないが、ヤマシタは、状況に合わせてフワフワと空中を浮遊し、読者や研究者を煙に巻いているようにみえる。

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