ワイパフ - ハワイ移民がつくった町

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オアフ島観光局のサイトのワイパフの項はこう始まっている。「オアフ島南部、真珠湾の西側に「ワイパフ」と呼ばれる地域があります。今は住宅地として発展していますが、以前このあたりは島の中心の丘陵地帯から続く広大な砂糖キビ畑でした。現在はYMCAの施設として使用されているワイパフのシュガーミル(砂糖精製工場)には、その歴史を後世に伝えるべく、高い煙突が取り壊されずに保存されており、その近くには「ハワイ プランテーション ビレッジ」と呼ばれる展示施設もあり、当時の入植地の面影を今に残しています。」このワイパフこそ、ブログ主の曾祖父が商店を開き、祖母が生まれた町である。

曾祖父がハワイに渡ってから百年以上経ち、ワイパフも変わってしまったけれど、ハワイの日系アメリカ人に自己紹介する際に「実は私の祖母はワイパフ生まれで・・」と付け加えると必ず強いリアクションがある。本土の日系人でも、ハワイから移ってきた家族を持つ三世、例えばジュリー・ハッタとかエドナ・ホリウチは、「ワイパフ」に強く反応してくる。こういった反応は、当たり前といえば当たり前で、何故なら、ワイパフは、戦前にはホノルルに次ぐ日本人移住者を擁した大きな日系コミュニティーだったからだ。

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ワイパフの歴史はサトウキビ農場から始まるのではない。日本人が入植する以前には、中国からの移住者がコメを作り、池では食用のカニやサカナや金魚を養殖していたという。ハワイで人口が多い町には水源がある。オアフ島に人口が集中しているのは水が豊富だからで、ワイパフにも豊かな水源があり、だから、サトウキビのプランテーションが開かれ、大きな砂糖精製工場が稼働していたのは不思議ではない。オアフ・シュガー・カンパニーは1887年から1995年まで運営されていた大規模な精糖会社であった。通称「シュガー・ミル」と呼ばれる工場は私も近くで見たことがある。80年代の初めで、さすがに機械はさびついていたが、かつての隆盛をうかがい知ることができた。

サトウキビ畑ができると産業と雇用が生まれる、雇用が確保されると人口が増える。人口が増えると、住民を相手にする商売が成り立つ。また、子供達には学校が必要だし、大人にはお寺や教会が必要だ。勿論、銀行やメディアも必須である。ハワイの親戚が持ってきてくれたワイパフ関係の本(写真)に目を通すと、ワイパフの歴史はハワイ移民の歴史のエッセンスだと感じざるを得ない。ワイパフには鉄道があり、20世紀初頭に労働者がストライキをしている。日本人労働者が主体の有名なストライキは1909年で、勿論、ワイパフでも起きた。また、ワイパフは、他のハワイの町と同じように、最初から多人種が暮らす町であった。チャイニーズ、フィリピノ、ジャパニーズ、オキナワン・・。勿論、工場を経営するハオレ(白人)も、ポルトガル系もいただろう。

なお、こう書くと<ワイパフ=サトウキビ>と短絡しそうだが、当時の写真を見ると、まさに日本の農村風景である。水田が集落を取り囲んでいる。勿論、辛い時代もあった。戦争、要するに、真珠湾攻撃を目撃した日本人移民の証言は生々しく、日の丸を付けたゼロ戦が飛ぶのを見た一世や若い二世は少なくなかった。パイロットと目が合ったとか、米軍機との空中戦を見たとか・・。ワイパフは真珠湾から遠くない。

再びオアフ島観光局のサイトからペーストしてみよう。

「今でも煙突が残されているワイパフの砂糖精製工場は1995年まで操業をしていました。ハワイ プランテーション ビレッジでは、ハワイが米国の準州であった20世紀に入ってからの砂糖プランテーションでの生活の状況が再現されており、移民として入植した日本人やポルトガル人、フィリピン人、韓国人等の、当時の様子を垣間見る事が出来ます。オアフ砂糖会社がワイパフに砂糖農場を始めたのは1897年の事、リリウオカラニが王権を放棄した四年後、ハワイがまだハワイ共和国と云う名で、国として存続していた年ですので、王朝時代の生活までは遡る事は出来ませんが、農場での労働条件が過酷でストライキにまで発展した、日系一世のご苦労が偲ばれます。」

残念ながらこのハワイ・プランテーション・ビレッジには訪れたことがない。かつて、ワイパフを代表する日系商店であった「現金屋-Kato Store」の末裔として、ワイパフという町は避けて通れない・・と書くと、「特殊な立場の排他的な特権化」になるのかもしれないが、排他的な特権化にならない範囲で(笑)アジア系アメリカに関心を持つひとりとして、ワイパフはブログ主にとっての原点となっている。

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この記事へのコメント

etchan
2008年09月22日 00:33
ということは、映画「ピクチャーブライド」の舞台もワイパフでしたっけ?(素でボケ;
真珠湾攻撃を目撃しただなんて、、いくらキャンプに送られなかったにしろ、かなりのトラウマになったに違いありません。少なくとも自分だったら耐えられる自信が・・・。

今度の朝日新聞の土曜版「うたの旅人」は、ハワイのホレホレ節特集だそうですね。期待。
2008年09月24日 18:55
僕の大叔父も、あの日、ゼロ戦を見たそうです。米国国籍で明治大学卒の帰米二世が「日の丸エアプレイン」(←小林克也)をハワイで見る瞬間がどんな心境かなんて想像がつきません。

上の青い表紙の本には「真珠湾攻撃の後、大切にしていた日本人形を全部捨てた」二世の少女(当時)の証言がありました。

「あの日はのう、わしらはのう、布団で泣いたんじゃ」(←小林克也「噂のカム・トゥー・ハワイ」)。

戦争はいけません。
ことぶき
2017年12月26日 15:27
「戦争はいけない」ではなく、「戦争に負けてはいけない」です。
戦争に負けると、勝った側の論理が正義になります。
これがHistory(語源は、His Story:彼の話)、
勝った側の主張のみが後世に残ります。
そして負けた側は一方的に悪者になります。
「ハルノート」も「米国がパイロット付きで国民党に貸与した
 爆撃隊がパールハーバーの前に日本を空襲したこと」も
 無かったように扱われます。

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