さのぱがん! めりけんじゃっぷとしての谷譲次

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新年おめでとうございます。今年もこの拙いブログにおつきあいいただければ幸いです。さて、谷譲次のことがどうにも気になり、某オークションで『踊る地平線 めりけんじゃっぷ 長谷川海太郎伝』室謙二著(晶文社)1985をゲット。早速目を走らせているところなのだが、予想通り、滅法面白い。無論、めりけんじゃっぷ物の小説のいかがわしさと同様、谷譲次も相当な曲者で、その道のりは不安定なのだが、不安定なりに独特のリズムを持っている。

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悩み多い人生-わずか35年-だったと思うが、この短期間に、谷譲次こと長谷川海太郎は日米を股にかけた体験をし、それを日本的な叙情性や私小説的独白で解決することなく、「めりけんじゃっぷ」という架空のキャラクターをでっちあげ、読者を煙に巻いたのだ。でっちあげと書いたが、でっちあげである証拠はない。但し、事実であるという証拠も・・ない。(笑)妄想と現実が交錯しているわけだが、決して滅茶苦茶ではない。ここが自由でアナーキーで楽しいのだ。アナーキーといえば、長谷川海太郎は学生時代に大杉栄の家に通っていたことがあるという。同時にキリスト教会にも通っていた。米国留学が可能になったのも、キリスト教と関係があった。また、反骨のジャーナリストであった父親からの影響も受けていた。

著者は長谷川海太郎の生い立ちや資料を調べ上げているが、長谷川海太郎の全体像を俯瞰するというより、谷譲次としての長谷川海太郎に惚れ込んでいる。私も同じなので、読んでいてわくわくする。ファン心理というのか、谷譲次はこうあってほしい、という願望が勝ってしまうのだ。こういう態度は、学術論文ではダメなのだが、これは評伝であって論文ではない。それに、谷譲次をまともに扱った論文にはお目にかかったことがない。(私が知らないだけかもしれない)他の米国体験のある正統的な文学者(翁久允とか)に比べると、谷譲次の滞米期間は短いし、定住ではなく留学+αであった。放浪とも言えた。だから、「移民地文学」とかいう視点からは谷譲次は見えない。しかし、米国に生きる日本人を、その生き方のままに生き生きと描いた作家として、谷譲次は特異な存在である。あまりに特異すぎて、どう評価していいかわからないようだ。だから、いまだに結論が出ていないようにも思う。

なお、著者は「めりけんじゃっぷ」こと長谷川海太郎が米国を放浪した1920年代という時代についても言及しているが、この時代が谷譲次と「めりけんじゃっぷ」を生んだのだともいえる。ローリング・トゥエンティーだ。やがて来る大恐慌時代の前の米国の繁栄。ジャズ・エイジ。実際、長谷川海太郎が滞米中に何をしていたかについてすら確かな資料はない。しかし、この本でそのかなりの部分が、不確かながらも、あぶりだされている。

以前にも触れたが、「めりけんじゃっぷ」には、戦前、西海岸に幾つものコミュニティーを構成していた<日系移民社会>のことはほとんどといっていいほど出てこない。怪しげな「めりけんじゃっぷ」たちが登場するのは、日本人などほとんどお目にかかれない中西部であり南部であり東部である。だから、金を稼ぐにも、同胞を頼ることはできない。「めりけんじゃっぷ」たちは、白人や他のマイノリティーとさまざまに関わり、衝突し、怪しげな家業に身をやつす。

このような一匹狼的な生き方を選んだ長谷川海太郎と、それをハチャメチャな文体で小説に仕立てた谷譲次とはいったい何者なのか。ますます興味が沸いてきたのである。

*「さのぱがん」はSon of a gunのこと。めりけんじゃっぷが発する英語。(笑)

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追記:「めりけんじゃっぷ」には次のような怪しい博打打ちが幾人も登場する。どこまで本当なのかを疑うのは野暮というもの。そのまま楽しむのが正解だろう。

 ヌウ・オリインスからスプリングフィイルドへ向かう街道(ハイウエイ)を、スズキとかれの情婦(ステデイ)グラデスを乗せた自動車が走っている。
 スズキは桑港(フリスコ)の学僕(スクウル・ボウイ)-万事古めかしい事の好きなめりけんじゃっぷの社会では、「書生さん」という明治的な色彩的(カラフル)な名前で呼ばれているが--そのスクウル・ボウイ崩れの博打打ちで、さいころ二つで「七来い(カム・セブン)、十一来い(カム・イレブン)!」なんかと--ばくえきのおはなしは詳細に申し上げませんと、お解りになりますまいし、それかと言って、あんまりよく知っているようでは、僕としても人聞きが悪くて困るんで--まあ、スズキは大親分、でもないけれど、デンヴァ市ならフランク・シノ、オマハの町ならビリイ・ヒロシマ、オハイオのトレドではタマス・オウキなどと、どこの誰それと歴とした名のある親分のところへ、このスズキが、みどり色の背広に山高帽、赤い線のある絹のシャツという伊達(スポウテイ)ないでたちで、ぬっと裏戸(バック・ドア)から挨拶なんてございません。はいって行きますと、
「ヘロウ!」
「ヘロウ!」
「どうしたい。」(ハウス・エブリシン)
「おう、丁度おれの大きさ。」(ジャスト・マイ・サイズ・ユ・ノウ)
「ユウどこから来たい。」
「俺(ミイ)か。ミイは西海岸(コウスト)のスズキってんだ。」
「聞いた名だよ。ミイはフランク・シノだ。」


以上は「黄色いメフィストフェレス」(←なんて題だ!)からの抜粋だが、異文化に放り込まれた日本人が使う英語を小説の文体にしてしまっている。この英語は、普通の日本人たちにより米国現地で編み出された手作りのコミュニケーション・ツールである。道具としての英語だ。語学学校で勉強したものではない。かなりブロークンではあるが、カタカナで添えられたルビを読むと、決して間違っていない。口語の英語として充分通じるのだ。Thomasはトーマスよりタマスが実際に近い。これぞ生きた英語であり、生き延びるための英語である。

ルー大柴のルー語は日本語の単語を英語のそれに辞書的に置き換えただけだが、「めりけんじゃっぷ」たちが使う英語は、英語から日本語になり、それを再び英語に戻した上で話されている。そういうややこしいが必然的な筋道を通って創造されたものだ。全然違うものだ。ルー語もある種の異化効果を持つが、「めりけんじゃっぷ」たちが話す英語とは比較にならない。

また、英語のファースト・ネイムを持つ親分さんがたの描写は「めりけんじゃっぷ」ものの作品の魅力のひとつで、この「いかがわしさ」は、行儀の良い、真面目な日本人移民の裏側を描写するもので、すこぶる貴重である。

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この記事へのコメント

トド
2008年01月02日 02:36
新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

谷譲次といえば、西岡恭蔵さんのアルバム「ろっかばいまいべいびい」の4曲目「めりけんジョージ」をすぐ思い出しますね。
2008年01月02日 19:54
トドさん

こちらこそよろしくです。

以前にも書きましたが、恭蔵さんは谷譲次のファンだったのでしょう。四畳半的叙情が支配した日本のフォーク界で、風来坊の姿勢で<カリブの風>を起こしてくれた恭蔵さんが「めりけんじゃっぷ」に憧れた気持ちはわかります。恭蔵さんが細野晴臣のファンだったことも連想してしまいますね。僕は恭蔵さんが「ろっかばいまいべいびい」をギター一本で歌うのを生で見たことがあります。

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