加藤利作と「現金屋」 ハワイ、オアフ島ワイパフの日本人商店

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一枚でスキャンできなかったのは横に長い長方形の写真だからだ。撮影年度は明かではないが、おそらく1934年だろう。フォード車らしい車のナンバープレートにHAWAII 1934とある。ハワイはオアフ島ワイパフ村で「現金屋」(加藤商店)という雑貨小売店を経営し、成功を収めていたブログ主の曾祖父「加藤利作」とその家族、従業員総勢16名+車の中の子供達が、クラシック・カーが7台も並んだ店先で記念撮影した「お宝」写真である。なお、ワイパフ村はサトウキビ畑で知られる。沖縄からの移民も多かったそうだが、曾祖父は広島県比婆郡東城町帝釈村(現在の庄原市)という山村の出身で、西暦1900年に横浜港からハワイに向かったと記録にはある。何故加藤利作がハワイで一旗揚げようと思ったのかは誰も知らない。ただ、1900年は自由移民が始まった年であり、それを待っての計画的な出稼ぎ移民だったのではないかとひ孫のブログ主は想像している。加藤利作は後に帰国し、故郷で小さな洋服店を営み、亡くなった。ハワイで稼いだお金を地元の役所に寄付したりしたそうだが、晩年は寂しそうだった。ブログ主は幼い頃にこのひい爺さんに会っている。顔も覚えている。声の大きい恰幅のよい紳士であった。

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曾祖父には二男一女があったが、二男は既に亡い。一女がブログ主の二世の祖母で、もうすぐ98歳になる。うちの家の近くで健在である。女学校入学の為に日本に送られてからずっと日本で暮らしている。普通の日本人と違うところは、二重国籍を保持していることと、英語の発音がいまだにネイティブであることだ。(笑)商店を継承した次男の二朗は1950年代に店を閉じた。だから「現金屋」は今はない。加藤家は米国で五世までできていて、日本ではブログ主が(奇妙な言い方だが、僕は真面目である)日本生まれの四世になる。

なお、写真を撮影~焼き付けしたのはN. MURAKOSHIという写真館らしい。刻印が押してある。ワイパフ村にあった村越写真館をご存じの方はご一報下さい。

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この記事へのコメント

ヨシダ
2019年08月26日 17:28
当家にもN.MURAKOSHIと刻印のある写真があります。同じ本町にあって、商店主が、村越信之助 と日布時事新聞にあります。もしかしたら、あだ名でノブと名乗ったか、先代がNの名前だったか?
また、ワイパフ商店業組合対抗野球があったようで、加藤現金屋とも対戦したようです。https://hojishinbun.hoover.org/?a=q&qp=1&r=11&results=1&e=-------en-10--1-byDA-img-%e6%9d%91%e8%b6%8a%e5%af%ab%e7%9c%9e--------

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