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zoom RSS 『ハワイの辛抱人』 - 「ハワイ日本語」やピジン英語が話された時間と空間

<<   作成日時 : 2011/06/11 20:57   >>

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泥縄式で、ハワイ移民関係の本を漁っている。これはライフ・ヒストリー研究、いわゆる、質的研究というジャンルに入るもの。明治25年福島県生まれで、14歳のときにハワイに出稼ぎ移民した渋谷正六氏と著者との「共作」だ。「聞き書き」ではない、と著者が明言しているので、そうではないのだろうが、私にはなんともいえない。方法論っていうのはややこしい。自然科学ならまだしも、社会科学で客観性を担保しろと要求するのは無理な注文だろう。この本でも、著者が渋谷正六氏と同じ東北地方の出身であることが著者と渋谷氏との距離を近くした、と著者が書いている。

この本の面白さは、渋谷氏のハワイでの生き方だけでなく、少年時代にハワイへ渡り、多数の言語と日本語(正確には移民を多く出した県の方言)が混じった言語を習得した渋谷氏の「語り口」にある。著者の丁寧な注釈により、読者はその意味を把握することができるが、この「物語」が、どんなリズムや口調で話されたのかは活字からはわからない。渋谷氏は福島県の元庄屋で代々村長をつとめていた家に生まれるが、既に家は貧しく、出稼ぎ移民の道を選ぶ。ハワイに来てからも、ほとんどはブルーカラーの仕事をしてきた人である。しかし、読み書きはできるし、言語の習得を含めた「適応性」を持つ人物のように思える。最後にはホノルルでコックをし自分のレストランを持つのだが、そういう仕事をするには、単純労働の繰り返しではなく、技術や技能と、お客さんの要求を見極める感覚が必要だ。

移民研究者でも読みにくい「ハワイ日本語」満載の本であるにもかかわらず、読者が渋谷氏の人生を想像することが難しくないのは、渋谷氏が、自分の過去を、不正確な部分があっても、大筋で記憶しており、その記憶を日本からやってきた学者に、かなりの整合性をもちつつ話しているからだ。話しにくい内容でも、それはそういうこととして、語っている。何度も足を運んで信頼関係を構築した著者の努力は勿論だが、渋谷氏のこのパーソナリティが、この本を読みごたえのあるものにしている。

私の曾祖父は16歳で広島県からハワイへ行った。渋谷氏より十年ほど前だ。このふたりが生活したエリアは違うものの、この本にある「当時のハワイ日本人移民社会」の状況は、曾祖父も経験したものだし、曾祖父の次男は福島県人の娘を結婚しているので、広島県、山口県、九州からの移民と福島県人との違いなど、本当に興味深い。なお、曾祖父の次男と結婚した大叔母はオアフ島のEWA出身で、EWAには福島県人の社会があったのだが、この本にもそのことが出てくる。

私たちは簡単に「ハワイ日本人移民」と呼んでしまうが、実際は、広島県からの移民、福島県からの移民、沖縄県からの移民、etc.がいただけなのかもしれない。国籍は日本だが、現在の感覚で19世紀末から20世紀初頭を考えては、出身県による移民先での「区別」あるいは「差別」は理解できない。今でこそ、「標準語」といわれる言語(これだってNHKが作った「電波方言」なのだが)により、同じテレビ番組を日本中の人々が楽しむことができるが、この本で渋谷氏も証言しているように、福島県人と広島県人が言語でコミュニケーションを取ることは非常に難しかった。しばしば「方言の通訳」が必要だったのだ。

以前、このブログで紹介したワイパフ出身のバーバラ・カワカミさんは、ハワイ中で話されたあらゆる日本語(方言)が理解できた能力を生かし、数多くの一世から聞き書きをしたが、カワカミさんのような人は稀だったのだろう。かといって、いつまでも方言が障壁になったわけではなく、移民たちはピジン英語や「ハワイ日本語」を使って互いに意思を通じ合わせることになるわけだし、二世以降は英語が母語となり、「ハワイ日本語」は話者をなくしていく。(私の二世の大叔父や大叔母はバイリンガルなので「ハワイ日本語」を理解できるが・・)

渋谷氏の話す「ハワイ日本語」は、21世紀の今、誰にも喋れない言葉だ。この「語り口」が記録され、解説されているというだけで、この本は読む価値がある。そう思う。なお、著者は「辛抱人」というタームを用いて説明をしているが、「辛抱」はハワイだけではなかろう。

『ハワイの辛抱人』 明治福島移民の個人史  前山隆 編著   お茶の水書房 1986

追記:二世の大叔母は、今も、「みやすいね」を使う。これは広島の方言で、「かんたんだ」という意味。初めてハワイに行った頃、関西人の私には「みやすい」が理解できなかった。反対に、私が「しんどい」と口にすると、福島県移民の娘として生まれた大叔母は「しんどい・・はわからないね」と困った顔をしたものだ。なお、福島県には「みやすい」という方言はない。要するに、「みやすい」は、広島県人が移民先で定着させた日本語なのである。

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コメント(2件)

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廣島弁だと「たいぎい」と言います。
「大儀」からきていると思います。

確かに古い布哇日本語は判りにくいですよね。
しんどい
2011/06/12 00:26
「たいぎい」ですか。ありがとうございます。

古い「ハワイ日本語」はとても興味深いですが、わかりにくい。ダンブロもそのひとつです。移民を出した県や地方の方言+英語+ハワイ現地語=クレール、という感じです。でも、この「ハワイ日本語」というクレオール的言語により、知らない者どおしが意志の疎通を果たした。正しい言葉、なんてない。その場で必要な言葉が言葉として移民社会に定着していくのです。ハワイのピジン英語の本は持っておりますが、さすがに「ハワイ日本語」の辞書は見たことがない。研究されている先生は何人もいるそうですが・・
asianimprov
2011/06/13 09:10

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