asianimprovのアジア系アメリカ雑記帖

アクセスカウンタ

zoom RSS 「ライフストーリー」ですらない「報告」は可能か? ― 家族史とハワイ移民史

<<   作成日時 : 2011/04/28 19:24   >>

面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 4

画像


質的研究というのは、要するに、個人へのインタビューから収集されたものを材料にした方法で、だったら、ふつうの人が日常生活でしばしばやっていること―他者への質問や他人との会話―とどこが違うのか、という疑問がわく。それで、『ライフストーリー分析 質的調査入門』(学文社)というテキスト(上写真)をいま読んでいるのだが、疑問がわく以前に、私が行うことになっている「報告」は、ライフストーリーですらないこと、つまり、質的研究ではないことに気がついた。なにを今更だが、これで、ライフストーリーという言い訳はきかなくなった。((+_+))

同じく質的研究でも、ライフストーリーと少し異なるものはライフヒストリーと呼ばれる。ライフヒストリーはヒストリー、つまり、過去を回想した語りであるが、ライフストーリーは、必ずしもそうではない。ライフストーリーの特徴は、過去と未来の両方を包括するものだそうだ。

うーん。よくわからんが先へ進む。

それで、ライフストーリーの方法論は下記のみっつだとこの本に書いてある。(なお、以下は引用ではなく簡単にまとめたもの)

1)ライフストーリー・インタビューは初対面の相手に行うことが多い。両親や友人や親族に語ってもらうような私的な「語り」とは異なり、初対面のひとから話を聞くのは不自然な行為なので、調査者(聞き手)と対象者(語り手)の相互関係をスムーズにする方法が必要である。

2)ライフストーリー・インタビューは何らかの目的があって行われるものである。対象者と親しくなるためのインタビューはではない。特定の目的、例えば「家族や仕事について」「人生の転機はどういうものだったか」「戦争中はどうしていたか」などを語ってもらうためにに聞きとりが行われるのだ。だから、ただ漠然と話を聞けばよいというものではない。

3)ライフストーリー・インタビューは複数の調査者が合同で行うこともある。各自がおのおののやり方でインタビューはを行えば、後からそれらの語りを統合して利用することが難しくなる。


さて、私の「報告」は、家族や親族の歴史としての家族史(家族史というタームでいいのかどうかも不明だが)という「小文字の歴史」を、ハワイ移民の歴史という「大文字の歴史」に重ねることなのだが、私の曾祖父も祖母も大叔父も大伯父も、ハワイの日系社会で、特に目立った活躍をしたひとでもなければ、宗教家でも銀行家でも政治家でもない。社会運動家でもないし、何かの組織を束ねたわけでもない。曾祖父は商店主として成功したが、ハワイの日系移民の経済を動かしたわけではない。そんな市井の人々のエピソードを、家族/親族だからといって私が語っていいのだろうか。それが大文字の「移民研究」につながるのだろうか。アカデミックな研究だけじゃ面白くないと・・と不平を言うわりには、ブログ主は気が小さいのだ。トホホ。

既に二回行った発表において、出席者の方々からポジティブな反応が返ってきたとはいえ、私が行う予定の「報告」は(1)ではない。なんせ、相手は曾祖父と祖母と大叔父とその妻(大叔母)である。(笑)みんな顔見知りだ。おまけに、祖母は一昨年まで生きていたし、大叔母はまだご健在なのである。「相互関係」をスムーズに、って、そりゃそうやけど、祖母や祖母の兄弟姉妹だからといって、その「語り」を引き出すことは、はっきり言うが、不自然なのだ。「私的」なインタビューは簡単で、初対面のひとにインタビューするのは難しいのだろうか。確かに、家族親族だから聞けた「語り」はある。しかし、「家族親族だから話せないこと」もあったろう。そのあたりが気になる。

さて次だ。この本の著者はライフストーリー・インタビューは対象者と親しくなるためのインタビューではないと(2)で述べている。それはその通りだけれど、或る程度は親しくならないと肝心な部分は話してくれないのではないか。私の「報告」は、対象者との血縁関係という前提の上に成り立つものなので、質的研究としてのライフストーリーの脈絡からは外れるだろう。しかし、親族であるという立場を良い意味で利用することにより、意外性に富んだ「語り」、もしくは、つじつまが合わない「語り」を聞き出すことは可能なのである。「そんな主観的な方法論ではライフストーリー研究にはならない!」と批判されるかもしれないが、「ただ漠然と」聞いているうちに、話が意外な方向へ向かい、親族だからこそ安心して発してくれる<トンデモナイ「語り」>が表れたりもするのだ。それを「禁じ手」だとは私は思わない。

(3)は、集団で、ある目的を共有し、方法論も統一してっ実行するという、実際のライフストーリー・インタビューでの混乱を避けるための注意点で、その通りだとおもう。ライフストーリーだけでなく、いわゆる、実証的な社会調査では、調査する側が統一されていないと、単なる情報収集だけになってしまう。

では、私はどうしたらいいのであろうか? 泣きそうになる。(T_T)

私の「報告」は、ライフストーリーでもライフヒストリーでもない。曾祖父やら祖母やら大叔父やら大伯父やら大叔母の人生から、ほんの一瞬を抜き出し、写真やら資料を見せ、ささやかな客観性を付与することにどれほどの意味や意義があるのか。そもそも、特定の個人を取り上げて「ああだこうだ」と解説する必要がどこにあるのか。これは、一年前に、初めてこのような試みをした頃からの問題であった。

移民先(ハワイ)から帰ってきた曾祖父。日本に移動させられそのまま定住した祖母。日本で高等教育を受けるもハワイに定住した大叔父。同じく日本で高等教育を受けてからハワイに戻るも、再び日本に移動し日本で生涯を終えた大伯父。以上の、4者4様の生き方を、かろうじて説明することはできるかもしれないが、これとて、この4人の「移動」にどんな意味を付与するのか、付与できるのか、と考えると、お手上げである。「これは私の推測ですが・・」と、何度も前置きをしながら説明するのが関の山だ。

だんだん迫ってきた、ある場所での「報告」。それは、方法論的には極めて脆弱だ。「家族親族という立場を利用した講談」になることは必至だ。防戦するだけの「質的不十分研究」とでも呼んでくれ。(苦笑)

ただ、私にひとつだけ「報告する理由」があるとするならば、そして「攻め手」があるとするならば、この「報告」が、「「移民の末裔」というアイデンティティ」――それは、私の中に幾つもある複数のアイデンティティの中のひとつ――を確かめる、もしくは、壊す過程でもあることかもしれない。

要するに、「捨て身」なのである。(なんやねん、それは?)

「捨て身」の攻撃って、まるで二世部隊のGo for Brokeだが、出席者をどれだけ笑わせ煙に巻けるかとか、そんなことばかり考えてしまう。アイデンティティてな古びた言葉は使いたくもない。なぜなら、私の曾祖父や祖母や祖母のふたりの兄弟に、アイデンティティに悩み、人格が分裂した時期があったとはとうてい思えないからだ。なのに、私がアイデンティティを云々してどうする?(苦笑)

私自身が持つ「移民の末裔」という「アイデンティティ」は、自虐的にいえば、後付けの妄想である。無論、曾祖父が移民し、祖母や祖母の兄弟がハワイで生まれ育ったことは事実だが、それを売り物にすると、ナントカ王朝の末裔だ、とか言って詐欺をはたらく連中と同じになる。それだけは避けたい。

この<「妄想」であり、しかし、「事実」でもある>という、私の中の二重性というのか、アイデンティティの多層性とでもいうのか・・そういう「報告者の立場」と、「帰ってきた移民とその末裔」というテーマは不可分なので、「捨て身」作戦は、結局、「家族親族をダシにして自分を語る」ことになってしまうのかもしれない。ダシにされたご先祖さまたちは天国で怒っていると思うが、ダシを取るなら、美味しいダシのスープを作りたいとは思っている。

なお、本屋や図書館に何度も通い、移民関係の書籍をチェックしてみたが、役に立ちそうなのはほとんどない。

やはり、自分の家族・親族のことは、自分がやらねばオトシマエ(決着)がつかないようだ。





テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
面白い
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
がんばって、落とし前をつけてください!!!(笑)
移民研究の専門家の中で、家族の中に”移民”だった人はどれだけいらっしゃるものなのか。ブログ主さんの現在を含めたライフストーリーでいいんじゃないでしょうか。がんばってください!!!
蒼い雪
2011/04/29 06:04
質的研究は、インタビューだけでなく、事例研究(ケーススタディ)とか、文献の研究とかも含みますので、質的研究と言ってもいろいろあるんですよね。要するに統計調査を<しない>のが質的研究です。

質的研究でも、客観性をものすごく求められるものもありますが、研究のきっかけというか、出発点っておそらくみんな主観的なところから出発していると思うんですよね。個人的な経験とか。私がいた大学院のプログラムでは、ほとんどが自分たちのエスニック・グループを対象にしていました(「当事者」というやつでしょうか。私はあんまり使わないのですが)。そうすることによる問題点もありますが、アドバンテージもあると思います。歴史という側面から見ると、歴史は途切れているものではなく、過去から現在へ、現在から未来へ続いていくものです。その歴史の中に祖先や親族の存在があったんですよね。「移民」として生きた人たちの記録は実は少ないと思います。これは、asianimprovさんにしかできない研究(報告?)だと思いますし、続けてほしいです。
hana
2011/04/30 03:01
quenchanayo! aja aja fighting!!
etchan
2011/04/30 03:13
皆さん、コメントありがとうございます。

大げさに騒いでしまって・・。

子供っぽいですね。

オッサンやのに。(-_-;)

「「移民」は決して特別な存在ではない」ということが言えれば勝ちなんですけど、かといって、それは、「自分が生まれ育った土地を愛すること」とは矛盾しないのです。

このあたりに「なにかがある」とにらんでいるのですが、にらむだけでなんも出てこない。いやはや。
asianimprov
2011/05/09 19:07

コメントする help

ニックネーム
本 文
「ライフストーリー」ですらない「報告」は可能か? ― 家族史とハワイ移民史 asianimprovのアジア系アメリカ雑記帖/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる